おやすみ。 その言葉に返して明かりを消す。
この部屋にベッドと言われるものは一つもない。 ここは日本だが布団というものも勿論ない。 だからもう一人、人間がこの部屋に泊まるとするとその一個のベッドに入ることになる。 (……布団というものを買っておけば良かった) 普段考えたこともなかったけれど、刹那は今日初めてそんなことを思った。 明かりは消したからベッドに戻らないといけないけれど、足がいつも以上に遅くなる。何故 なら、ベッドにはもう一人の人間が寝ているからだ。 少しくせのある蜂蜜色の髪がシーツからはみ出しているのが見えて、余計に戸惑う。別にそ れは人形とかではなくて、グラハム・エーカーという人間だ。息もしているのが浮き沈むシ ーツで分かる。 シングルベッドの。 その狭い場所をご丁寧にちゃんと半分のスペースを空けてくれているから、もう本当に刹那 にはどうしていいのか分からなかった。 唯一の救いは彼が背中を向けてくれていることだろうか。 (こうしていてもしょうがない…) 刹那はそっと息を吐いてから、その空けられたスペースへと入った。 ぎしりと、軋むベッドの音が暗闇の中に響く。その音がすごくなんというか生々しいなどと 思ってしまう。思ってしまってからなんで生々しいかと思って、なにかを想像してしまって 慌ててシーツを引き寄せた。何かってなにか、ばかか。ばかなのか。 だが、残念ながら焦ったその行動で起こった衣擦れの音も、また部屋にいつも以上に響いて しまう。 ああ、本当に布団を買っておけば良かった。 ぎりぎりに身を寄せていても、背中からグラハムのなにかを感じる。 今動いたなとか、息をしたとか温かいなとか。髪がぱさりとシーツと摩擦する音まで拾って しまう。 駄目だ駄目だと思うほどに、なんというかぎゅっと抱きしめたくなってきた。 闇の中でも光る髪に指を絡めて、あの甘そうな首筋に顔を埋めたい。そして思い切り吸い付 いてみたかった。 思い出す彼のその場所は、本当に美味しそうなのだ。 そして背中から彼に手を回す。そしたらそんな背中からではなく、全身で彼を感じることが できる。薄い、今の彼が着ている部屋着だったらいつもよりも無防備なその熱を感じられる だろう。 思う存分それを楽しんで、そして、 (……ッ) 自分の頭の中を占めた一瞬の夢。その恥かしさにはっと我に返る。 何を想像していたのか。いけないことだった。さっきグラハムに何をしていた。夢の中の自 分は何をしていた。 (服、を……そして、…) それに気付くと途端に顔に体温が集まっていく。急すぎて熱すぎて、ばっとシーツをつい顔 まで引き上げてしまった。 そうしても熱さが引くことはないと知っていたが、そうせずには居られなかった。居られな かったけれど、そうしてしまったことにまた後悔する。 「――― !」 その瞬間。指が触れてしまったからだ。隣のその人に。 夢で触れていたより、その触れ合いのほうが刹那には衝撃だった。まるで磁石がかみあった 瞬間のように指が離れない。びりびりと痺れるような気さえする。指が刹那の心の全てを語 っているようだった。 ―――部屋は、とても静かで。 その触れ合いを見逃してくれているように静かで。その静けさに、いつの間にか顔の熱は引 いていた。熱はとっくに触れ合ったその一点に集まりかけている。 指は刹那に言った。 『もっと触れ合いたい』と。 だからその言葉のまま、グラハムの手を握った。 最初はゆっくりと、その人差し指に。手のひらが彼の皮膚や爪の形まで覚えそうなぐらい、 ただ握っていた。 そうしているとまた指がもっと欲しいっていったから、ぎゅっとその彼の手のひら全体を握 った。 眠っているのかと思っていたグラハムから、反応があったのもその時だった。 強く握られたかと思うと、それ以上に強く腕を引かれる。 「足りない」 聞き間違えかと思った。 でも、目の前に。吸い込まれそうなぐらい近くにあるグラハムの顔をみて違わないと知る。 長いその睫毛の一本一本まで見える距離にあって、どこに嘘がつけよう。 ああ、足りないといったのは自分の心が透けて見えたのだろうか。足りない。手だけじゃ足 りない。 心じゃなくて、それはもしかしたら全身で言っていたかもしれなかった。 「もっと欲しいと言ってもいいかい?」 彼がそう代弁してくれたから。心の、体のその言葉を。 「―――…グラハム」 刹那がすることは決まっていた。 ただ、彼を今日一番強く抱きしめることだった。 なあ抱きしめてもいいだろう。 ::END::
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