我
我にならんと 震える衝動 そのままに急ぐ さぁ―――今より 御伽話が始まる |
「よくやったシグルド。部屋に帰りゆるりと休むがいい」 「はい…。有難う御座います―――兄上」 トロイをどうしても好きになれなかった。 兄、と言うのに。 トロイがシグルドに対して、優しく接してくれるというのも分かる。 叉、気に掛けてくれているというのも頭の中では言葉として分かっているつもりだ。 だがどうしても、好きになれないのだ。 『良くやったな…シグルド』 と先程と同じような言葉で頭を撫ぜてられ、子どもの頃は純粋に好きでいられたし、 喜んでいられたのだが。 ――― いつからか…。 此の言葉が足枷のように感じ始めたのは。 歳を取っていくごとに、馬鹿な…子どものままでシグルドが居られなくなったせいも あるかもしれない。 頭を撫ぜられて、周りのことも気にせずに喜んでいられなくなった。 なまじ頭が良い子どもだったから、此所で演技というものと腹の底で我慢することを 覚えてしまったのが、今の結果ではないかと思う。 トロイの言葉掛け一つで、体が鉛にでもなったかのように感じるのだから重症だ。 トロイの言葉ではなくても、臣下達の声でもそうである。 シグルドが…自分が、上げた功績をトロイの手柄のように語る臣下達。 『さすが、トロイの弟君』 『トロイ様の教育の賜物』 などと、影で囁きトロイに進言している。 其の言葉で臣下達は最大限誉めているつもりなのだ。 「はい、兄上の力になれて光栄でございます」―――と。 其う言う以外に一体、どんな言葉をシグルドが言う事ができようか。 他の言葉があるのなら、教えて欲しい。 他に答えがあるのなら、教えて欲しい。 一体どうすればいいのだ。 自分を自分として認めて欲しいと足掻いても、結局は無に返る虚しさ。 ふつふつと湧きあがってくる、どす黒い感情を喉の奥に飼い慣らしていく生活をどう 変えたら良いのであろうか。 シグルド自身の力、というものを認めて欲しかったのだ。 ただ一言『シグルド様のおかげです』と、言ってくれるだけで良いのに。 他のことを望みはしない。 望むことはとうの昔に諦めたから。 だから―――…ただ、自分を自分であるという言葉が欲しかったのだ。 (私は…なんて退屈な時間の流れに生きているのだろう) 此の家に居てトロイと一緒にいると、『自分』という境界線が曖昧になっていくのを 刻々とシグルドは感じていた。 いっそ傀儡になることが出来たら良かった。 だが、自身にある自尊心が其れになるのを許さなかった。 感情を殺しても、心の何処かに『自分を求めてくれる時がある』と信じたかったから であろう。 嗚呼。 一体、自分はどこにいる。 どれが自分なのか。 黒い感情を腹に隠しながら、言葉を操っている妖(あやかし)にしか思えない。 いつか―――…そういつか…自分の中の感情が爆発するだろう。 いつか、という言葉も曖昧で。 なら、『今』でもいいんではないか、とシグルドは嘲笑を浮かべる。 面白い。 いいのではないだろうか。 腐っても自分は、この家の次男坊。 真夜中にいきなり出歩いて、失踪したとなれば皆慌てるのではないだろうか。 そう―――兄も。 「はは…ッ………はははは……!」 鋭い衝動が体を巡る。 突然ではない。 幾重にも張り巡らしていた糸が、そうやって徐々に切れていったのに自分自身気付い ていなかっただけだ。 ただ、そう―――… ただ、最後の一本が 今 切れてしまっただけのこと。 ぷつりと琴線の切れる音が、シグルドの耳に響いたの同時に体が何かから解放された ように疼いた。 五感が戻ってくるように感じる。 今まで、鈍く眠っていたのに。 其の衝動に一番初めに耐えられなくなったのが足だった。 走り出したくて堪らなくなり、ジクルドは着の身着のまま駈け出していく。 駈け出した時、口うるさい侍女に見つかったが無視をした。 「シグルド様…っ」 普段大人しく、言う事ばかり聞いていたシグルドがとった突然の行動に侍女は目を丸 くして驚いている。 何かとても楽しかった。 自分の笑い声を間近に聞きながら、夜風を切るように走る。 家の塀を越えたときの開放感は言葉に出来ないほどの快感だった。 足枷がふっとなくなって、空も飛べると思うぐらいにシグルドには足が軽く感じた。 そして、我武者羅に走ったところで。 自分の足が絡まって、土に頬がぶつかった。 何時の間にか足も限界に来ていたらしい。 それにも気付かないで走っていた自分も、何かおかしくなった。 全てが全て可笑しく感じる。 「はははは…ッ!」 土に倒れ込みながらも、腹の底から笑いがこみあげてくる。 周りに人の気配はないが、もしも人が居たら狂った人間に見えていただろう。 何もおかしいことはないのに、突っ伏しながら体を震わせ笑っているのだから。 頭では、おかしいと思っているのに一向に笑いが収まらなかった。 自由とは、こんなことを言うのだろうか…という事までシグルドは考えていた。 だが。 所詮は十五の餓鬼の我が侭であったことを、シグルドは気付いていなかった。 金の掛けた衣服を着れることを。 毎朝、知らずに食事がでることも。 鍬の重みを知らない腕も。 全て、他の人間にとっては目も眩むような―――… 幸福であるということを。 「其処の良い服着てるおぼっちゃん?」 可愛い可愛いと、育てられていた自分にシグルドは気付きもしていなかった。 其の前に、シグルドが一番気付いてなかったのは――― 兄の偉大さ。 「こんな月のない夜に出歩いちゃ駄目だって、お母様に教えてもらわなかったかネ」 あげた全てのことをシグルドは、これから知ることになる。 「まー、なんでもいいや―――… 暇なら俺達と遊ばない?」 |
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