――― 貴方でも。









彼は眉間に少し皺を寄せてそんなことを言った。 








「貴方でも泣くんですね」 




普段はいつも飄々としていて、感情を表に出すことをしないのに。
セイロンからすると、彼がそんな顔を自分に見せることが分からない。 
でも、同時に少し可愛くも思う。そんなこと決して彼には言わないが。 

「一体なんのことか」 
「惚けないでください」 

今度は表情だけではなく声までも厳しくなる。 
セイロンはおかしくて、それをこらえるのに必死になっていた。 

「惚けてなどおらぬよ」 
「…そうですか」 

言われて、軽く笑って返した。 
シンゲンの言っていることは分かっている。決して惚けていたわけではないが、余り言いたいこ
とではない。 
まあそれが惚けていることになるのだろうが、都合のいいほうに考えることは得意である。 

















先程、こと。 





















『あの人は素晴らしい人だった』 

ふいにまた言葉が蘇る。 
店主の父に言われた言葉である。先代の、あの最後を見届け手を貸してくれた男。 
しみじみとかみ締めるようにして言った男の言葉に、セイロンは知らず涙してしまったのだ。 
他の御遣いたちの言葉とも違う、何か他の感傷を含んだ言葉だったからかもしれない。 
本当に、この親子は自分の調子を狂わせてくれるものだとしみじみ思う。 

『…今頃泣くのか。龍の御仁よ』 

そうして、こう問われた。時間がたった今泣くのかと。 
言われて自分は、この涙というものを流していないことに気付いた。御使いの、あの時の立場と
それに続く軍団からの攻撃。 
心は泣くことはあったが、体は頑なだった気がした。自分が気付けないというものおかしな話で
はあるが、それだけ特殊な事態だったのだ。 

『―――泣かせてくれるか』 

ゆっくりと聞く。答えは分かっていたが訊ねて、やはり男は言ってくれた。 

『ああ。泣くといい』 

男の声は妙に心へ落ちていく。 
頭にぼんやりとあのお顔が浮ぶと、やりきれなかったことばかり思い出してしまっていけない。
思えば本当に、素晴らしいいろんなものを教えてくれた人だった。 
きっと自分はその半分も返せてはいないだろう。 

『好きな分だけ悲しくなるから辛いよなぁ』 
『……っ』

淡々としていて、でも言葉は確実に重みをセイロンに伝えてくる。
きっとこの人も同じ思いをしたのだろうと、言わずとも悟ることができた。
だから、こんなにもセイロンの心に真っ直ぐ言葉がくるのかもしれない。

『辛い…なぁ』

二度目のそれは愚痴のようで。それでいて、やはり悲しい響きだった。
そう、なのだ。その人を想っていた分だけ、慕っていた分だけ悲しい。
そうして辛い。
想っていた分の感情がそのまま、悲しいことへ繋がっていってしまうとはなんと悲しいことで―
――皮肉なことだろう。  
素晴らしいことをいくつも教えてくれた。ただ大きいことではない、小さなことも全てが輝きに
満ちていることを教えてくれた人だった。
その輝きが、涙でぬれていく。急に汚しているような気がして慌てて手の甲で拭ったが、拭って
も拭っても枯れることはない。

『泣けばいいんじゃねえ?』

止めることのできないものは、焦るほど余計に涙が溢れた。
それを察したらしく、彼はひどく軽くそんな言葉を使う。
思い出に浸って泣いているものに対しての言葉にしては軽すぎると想う。けれどそれが彼らしか
った。
言葉は嫌だとも感じない不思議な空気を持っていて、何故かすんなりと受け入れてしまう。

『こうゆう涙はさあ…たむけになるんじゃねえかって俺様は思うわけよ』
『――― そうか…』
『そそ。きっとそうゆうもん』

だから泣いておけ、と言う。
たむけという言葉を使われると、一層苦しい。
その言葉を使わねばならないことも…。そうしてこんな自分の涙ぐらいしか捧げられないことも、
すべて悔しく涙にかわっていった。 

『俺様の胸で良かった貸しましょうか、御仁よ』
『いや…遠慮しとこう』

どうせなら男のものではなく女性の胸を借りたいものだ、というとケンタロウもちがいないと笑
って、煙草を取り出し火をつけた。
まだぼんやりと霞む視界に、彼の煙草の煙が空へと上がっていく。
まっすぐと。上がっていく。

『親父殿にはかなわないな…』

彼の肩はきっと重い。
実際の意味でもそうであるし、心もそうだ。彼は、あの場でかの人の血を浴び、その腕で実際に
命を刈り取った。
先代が望んだことだ。罪、ということにはならないかもしれない。
けれど、それを叶えるほうはひどく重いだろう。なのに、彼は笑ってみせる。

『そうか?ま、こうみえても二児の父だし』
『歳なら我のほうが上なのになあ』
『こーゆーのは経験の差でしょう』

青二才と言われている気もするが、今の状況からするに大人と子どもであったので何も言えない。
苦笑い一つで許してもらうと、あとはまたぼんやりと煙草の煙を目でおった。
いや――― 正確には空を。その上にあるものを見つめた。

















ピュウ。







「………また」








風が吹く。








「またなんで遠い目してるんですか……私は聞いているんですよ?」
「―――ああ、すまんすまん」

謝ってみたものの、セイロンは彼の顔を見ることはせずにまたすっと空を見た。
今日も空は青い。
青く、そして澄んでいる。
あの禍禍しく歪んだ赤ではない。雲が流れ、風がそよぎ…家からは子ども等の騒ぐ声がする。

「もう…貴方って人は……」

シンゲンの呆れた声もそうだ。
どこをとっても平和ではないか。

「なあ」

傍らで不て腐れていていたシンゲンに振り向いて、声をかける。
最初は怒っている様子であったが、今はもう何か諦めたらしかった。
それはそれで面白くない。

「何故泣いていたのか聞かぬのか?」

問うと、さすがに彼もふっと怒り出した。

「…っ、貴方が言わないからでしょうが!」
「いつもはもっとしつこく聞くのに。今日は良い子だなあ」
「―――… この歳の男に、良い子だなんて言わないでください」

怒ったと思ったら、今度は脱力して顔を下げた。
忙しい男だ。でも、それが実は嫌いではない。
むしろ、可愛いく思う。そうゆう姿が見たくて、別に話してもいいのにからかっていたと知った
ら、この男はまたどんな顔を見せるだろうか。
まあ、あと少し。

「良い子なお主には語ってやろう」

最初に言われた言葉が少しひかかっているからだ。
自分をなんだと思っているのだろうと、思ったからだがこの男は気付いていないだろう。
妙なところで抜けている。

「……」

けれど、この言葉だけは本当に嫌なようだった。
答えず、ただ目で訴えかけられる。この呼び方はよほど嫌らしい。
いつも飄々としているのに珍しい。心の中に彼を遊ぶ言葉の一つとしてメモをとった。
喉の奥につくつくと笑いがわいてくる。
けれど流石に可哀相だとぐっと堪えて、その衝動を抑えた。

「少しだけ長くなるぞ?」

ただ一つだけの笑みしてそう言うと、向こうも苦笑いのような複雑なものを浮べて頷い
てくれる。
聞いてくれるものがいて、自分に関心があるものがいるというのは少し嬉しいことだ。





「――― 昨日な」




ピュウ。
また風が吹いた。










少し温かくて、優しい風だった。


















涙の意味


親父が書きたかっただけの小説ではないですよ。 メインはシンゲンさんとセイロンさんですよ。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送